東京で雪が降ったり台風が来たりするとやけに大げさな報道がされるってのはよくネタにされますよね。
また報道だけでなく実際そこに住む人達の騒ぎようも大げさかな?
……なんていう私も東京ではないものの近郊の関東にいるもので、大騒ぎしている一人かもしれません。自覚はないけど。
さてそんな状況は現代に限らず昔からだったらしい、と山之口貘の沖縄随筆集の一編を読んでニヤニヤしたので内容に触れてみたいと思います。
昔の東京でも台風の暴風を大げさに言っていた
まず山之口貘とはどんな人かと言うと、1903年沖縄生まれの詩人です。
そして彼が故郷沖縄への思いを綴った文章をまとめたのが沖縄随筆集↓
その中の『暴風への郷愁』(青空文庫でも読めます)で東京の大げさなところについて語っています。
東京というところは、ものごとをバカに、大げさにいうところだとおもった。
風が吹くと「暴風」だというので、ぼくなどにはそれがこっけいに感じられたのであった。
貘さん曰く「暴風の名産地」である沖縄からすると、東京の暴風なんて屁でもないんでしょうね。
これってまさに現代の東京の台風(雪その他災害)報道大げさすぎ!うるさすぎ!大騒ぎしすぎ!と同意見じゃあないですか。
この文章の初出は毎日新聞の1954(昭和29)年9月25日号なんで65年前のこと。
東京というところは昔から変わらず大げさだったのですねえ。
「最近の若者は~」という文言が清少納言の頃から言われていたことを思い出しました。(だいぶ時間のスケールが違うけれども。)
大げさになっちゃう理由を山之口貘の言葉と共に考察してみる
先ほどの引用部分だけ切り取ると貘さんもただ東京の大げさ具合を馬鹿にしているように思えるかもしれませんが、全編読んでみる(短いので是非)と冷静に分析もしています。
例えば上記引用部分の直後に……
しかし、それが結局は、暴風の名産地である沖縄に生れたところのぼくの東京観なのであって、東京あたりでは、十メートル、二十メートルの風速を『暴風』にしておかないと、暴風と名づけられるような、暴風らしい暴風などないからなのだということがわかったのである。
直後に沖縄の暴風は50~60mが3~4日吹き続いて家にこもるとあるから、それに比べると10~20mは本当に大したことなかったんでしょうね。
でも確かに関東じゃ10~20mでも「暴風」にしておかないと、暴風という言葉が意味をなさない!
結局そういうことだよなー。
あれに似てると思うんだよね、東京基準だとコートいらない気温なのに南国(それこそ沖縄とか)の人がコート着てる感じ。
逆に北国基準だとコートいらない気温なのに東京の人がコート着てる感じ、も言えるか。
その土地の人にとっては寒いのだよなあ。だってその土地の環境に体が慣れているんだもの。
それと同じでその土地基準では「暴風」だし「大雪」なんだな。
ただ東京は人口が多いしマスコミも強いからどうしても声が大きくなるというか、大げさになっちゃうんだろう。
マスコミは煽る生き物だと考えるとなおさらね。
おわりに
昔の人も今と変わらないんだなあ、ということを発見するとニヤニヤしちゃいます。
いつの時代も人間って面白いですね。
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